北大基礎スキー部のブログです。部員が持ち回りで更新していきます。
し過ぎまして、ほんとにすみません     みつをです

う○○云々の話でいえば、今日ちょっとやそっとでは動じないゆたかが、ギャル○曽根さん(ギャル曽根さんではない)の話題に珍しくやられてましたね。



先週、うちの父親さんが所用でこっちに来たんですが、その時に父親さんの知り合いの方となぜか飲みに行く機会がありました。50代後半の方々に交じり、19歳の自分だったわけですが、この年の差は大丈夫かな~と思いきや、全然楽しく飲ませていただきました。ごちそうさまでした。キャラで年の差は埋まるかもしれませんね。

近況報告といえばこんな感じです。




さて、今田さんからの振りにもあったのですが、やはり僕はМキャラという評価なんでしょうか?うすうす気づいてはいましたが、部員の大半の人に僕はМとして見られているような気が結構しますね。(泣)

では、実際のところはどうなのか?ズバリですね、僕の本当の姿は”М”時々中間ぐらいな感じではないかと思われますね。確かにいじられる事が自分は多いのですが、決してそれを快感と感じているわけではないのですね。ただ、様々な物事に対して穏やかに過ごす、そんな処世術ともいえる態度がいつしか”М”という人間の姿を生んだのではないか、いや・・・そんな人間たちのふるまいを人々は”М”と呼んだのではないか。こんな”М”という概念の成り立ちに思いを馳せてしまうわけであります。

そう考えると、”М”というのは、現在のただ性的にいじめられるのが好き、という意味合いを超越し、本来は人々が世の中を生きていく際の一つのあり方を意味しているのではないか。そんな気がしてやみません。

ここにひとつの証明を与えてくれるのが、おやじ=”М”という図式であります。僕が存じております中では、かの金井さんから端を発し、今田さん、みつを、そしてゆたかと続く”おやじ”の系譜には”М”というキーワードが、やはりついて回ります。これはその身体や振る舞い、情緒といったものに刻み込まれた、おやじをおやじとせしめんものが、その者を”М”というライフスタイルに導いているのではないか。いや、むしろ”М”という生き方が、その者たちをおやじたらしめているのではないか。と思わされてしまいます。

このように考えてきますと、”おやじ”と”М”は相互補完的な関係を形成している、そんな香りまで漂ってくるわけです。いずれにせよ、”М”にはまだまだ解明されていない多くの謎があるわけですが、少なくとも、各学年を代表する”おやじ”の面々はただのМではなく”М”であると言えるのではないでしょうか。


”М”の根源、本質とは何なのか。そしてそこから”おやじ”へと繋がっていく過程を考察すると、“M”というは決して浅はかなものではなく、深い奥行きと広がりを持った存在であることが、見えてくるのかもしれません。




こんな感じでブログの更新とさせて頂きます。



それでは次はゆたかくんお願いします。















【2010/11/19 01:09】 | 2年目
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深すぎてわからん!!

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深すぎてわからん!!
2010/11/21(Sun) 22:26 | URL  |  #-[ 編集]
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